日記について P.43

 

1999年7月8日 エディの後ろ足がまったく立たなくなった。これで一生立てないかもと宣告された。

この時からエディの病状を記録しておこうと、なによりこれからのち通院して病状を説明するのにも役立つだろうと思った。

幸運なことに、エディはその後ほどなくして歩けるようになって、いままでと変わらぬ生活を営めるようになった。

それで日記をつけるのをやめてもさしつかえなかったのだろうが、この時エディは11才。もうすでに老齢に達する年令になっていた。

この後どのくらい一緒にいられるだろう…?こうして一緒にいられる日々を記録していくのも悪くないだろう、そう思って書き続けた。

結果として、エディがやがて老化のため、本当に立てなくなり、歩けなくなり、すべての行動に介抱が必要となって、そして寝たきりになり、食べるも飲むも、声さえかすれて、やがて静かに逝ったその日まで書き続けたことになる。

文字に残さずとも共に暮した幸せな日々の記憶は心の奥底にとどまり、いつまでも消えないだろう。

しかし、こうして記録に残したことによって、「美しいだけの記憶」になることへ、かろうじて歯止めをかけることもできる。

それは、ずっと幸せだった殆どの日々と、寝たきりになってからのエディがどれほど辛かったか、それを心にとどめておくことができる、ということなのだ。

遺されたものは、最愛の対象が逝ってしまった時に、幸せだったことだけ記憶に遺そうと、それは本能によるものだろうが、ついぞそうしてしまうものだ。しかしそれは人情というもの。

だって、そうでも思わないことには、二度と生きて帰ることのない相手に、もうなんの施しをすることも出来ないのだから。だから、これでよかったんだよね!きっと幸せだったにちがいないよね!と自分自身に問い、そしてきっとそうだったと答えるのだ。

だけど、本当はどうだったの?自分自身への誤魔化しなどではなく、本当にエディがどれほど辛い思いをして最期を迎えたか、やっぱりそのことを正しく見つめたい。そしてそのことをきちんと受け止めたいのだ。

どれほど辛い思いをしたかを胸に刻むことで、初めてほんとうに「よくがんばったね、よく生抜いたね、真に寿命を全うしたんだね」と言い切れるのではないか、と思うのだ。

 

 

日々を連ねた実際の日記帳

B6サイズのクロッキーブック

 

当初、写真点数はその時代ごとに数枚ずつだけ載せるつもりだった。もちろん、自分達のは除いてエディだけ写ってるやつを。

が、写真を選んでいくうちに、「思い出としての記憶」というよりも、「生きた軌跡」という捉え方がだんだんと強くなっていった。

ならばいっそ、全部の写真を掲載することで「14年間、共に生きた軌跡」として残そう、と!

ホームページという特性上、自分達の姿形を公表してしまう、ということにはもちろん抵抗があった。プライバシーをさらけだすに近いことだし、もちろん姿形に自信もないからそりゃなるべく載せない方が無難だ。

でも、それだと「共に生きた」軌跡にはならない。だから自分の顔も公表するということに関しては「覚悟を決めて」全部載せる決意をした。

 

たくさんの日記のページは、日々を追うことの繰り返しで、表現も同じようなものが延々と続き、また、上に書いた通りでアルバムの量も膨大で、赤の他人様が順を追って見続けるには、それほど面白みもないだろう。

もし、同じ立場の方々が、自分にとって必要なページだけでも見ていただければそれだけでありがたいことだと思う。

 

 

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